今日は敬老の日でしたが、私がパートだったため、子どもたちからのばあちゃんへの手紙と似顔絵を持って施設(老人保健施設)に行ってきました。
今日の母はいつもと違った
今日もリビングにいましたが、うとうとしていました。
開口一番、
「久しぶりやね」
と言われました。イヤミなのか、覚えていないのかよくわからないのが嫌なところです。
「何しに来たの?」
と、もうこれはお決まりのセリフですね。
敬老の日の手紙
車いすを押して、母の部屋に移動し、子どもたちからの手紙と似顔絵を見せると喜んでいました。
長女が、「早く治して、また一緒に買い物に行こうね。」と書いたので、
「本当にこういうことができるといいなぁと思うんだけど。」と言っていました。
でも、リハビリの数が少ないとか文句を言う割に、車いすの生活に慣れてしまっていて、少しでも歩こうとか、補助を使ってリビングまで行ってみようとは思っていないようなので、なんとも・・・。
もっとやる気になってくれれば、この施設じゃなく、っもっと自立したサービス付き高齢者住宅とか、グループホームへの入所も考えられるんですけど、今のところ難しそうです。
何度言っても忘れてしまう
そのあと、明日は入院していた病院で経過を診てもらうから、病院で待ち合わせをするということや、母の自宅がある町内の敬老会が昨日あり、隣の家の方が紅白饅頭と商品券を預かってくださったこと、飲み物を持参したので、スタッフさんに預けるから、飲みたいときはコールボタンを押してお願いしてねということを伝えました。
コールボタンの使い方を毎回忘れてしまうのか、ポカーンとしていたので、必要な時はこのボタンを押せば来てもらえるよともう一度説明しなおしました。
母には床にセンサーマットが敷いてあるので、何かしたいと思って立ち上がったり、ベッドに腰かけて床に足がついたときは、母が呼ばなくても自動的にスタッフさんが来てくれると思っているのかもしれません。
意外な質問
私が仕事に行ってから、ここに来たという話をしたからか、
「お母ちゃんはあんたがいない間、どうしとるの?」
とまた自分の母親(注:もちろんもう亡くなっています。40年以上経っています。)のことを心配し出したので、
「うちにちゃんといるから大丈夫よ。」
といつもの嘘でごまかそうとしたところ、
「お母ちゃんは、なんぼになったんや?」
といきなりいつもは聞いてこない質問が!!!
「さあね、私もよくわからないわ。お母さんの方が知ってるでしょ。」
とごまかすと、
「もう、100は超えとるわな。」
とさらにいうので、
「そうやねぇ。もちろん超えているやろうけど、よく知らないわ。」
とごまかし続けました。
お母さんが92歳なんだから、20歳で産んだとしても112歳。まして、母は6人姉妹の5番目ですから、いくら昔は結婚が早かったといっても、遅くにうまれた子どもだと思うので、生きていらしたら絶対に日本最高齢のはず。
そんなこと聞けるくらいしっかりしているなら、もう亡くなっていることも悟ってくれ。
いつもよりしっかりしているからそんなことを聞くのか、でも「お母ちゃんは生きている」ことは前提になっているっていうのは認知症の症状なので、いつもよりしっかりしていないのか・・・。
そのあとも、
「あんたは年寄りばっかり、相手して大変やなぁ。」
「ゆうちゃんはお母ちゃんが家にいること、なんにも言ってないか?」
「申し訳ないなぁ、お母ちゃんも私も世話になって。」
などを繰り返していました。
なるべくほかの話題になるように話していたのに、結局、
「ところで、お母ちゃんは何歳になった?」
って3、4回聞かれたよ・・・。
本当のことを言うべきなんでしょうか?
会えるのは
最終的には、
「一回、お母ちゃんに会ってみたいんやけどなぁ。会ってみたからってなにってことはないんやけど、心配やし会いたいなぁって、よく思うのよ。」
と言われました。
「あの世に行かないと会えないのよ。」とは言えない・・・。
気が重い日々
明日の病院でも、質問攻めにあうのかと思うと気が重い。
初めて入院していた病院へ診察に行くので、ここの施設の人は送り迎えだけなのか、診察時も一緒にいてくれるのかよくわかんないし。
さらっと亡くなっているって言ってしまおうかな。ショックを受けるだろうけど。